インタビュー

Interview

vol.08

合言葉は「遊びあふれるまちへ!」

久米 隼さん|BIZcomfort大塚(2018年10月)

プロフィール

「特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会」は、子どもたちが「遊び」を通して学ぶことの大切さと、その土台となるプレーパークの必要性を広める活動、運営団体やプレーパークをつくりたい方たちのためのサポートを行っています。

ホームぺージ:http://bouken-asobiba.org/

全国のプレーパークの情報発信地。交通の利便性が決め手に。

―ホームページを調べると、事務所が世田谷の住所で出てきたのですが、そちらが本社なのでしょうか?

我々は冒険遊び場、プレーパークを全国に広め・冒険遊び場づくりを支援する活動をしています。その中の1つに、世田谷と目黒の境目にある「のざわテットーひろば」というプレーパークがあるのですが、そこは元々所有者の方から、ここを子どもたちに使ってもらいたい!とお声がけいただきそれで、冒険遊び場と併設する形でそこに事務所を置かせてもらうことになりました。我々の事務所はそこに入って10年程になります。

―そんな中で別のオフィスを必要とした理由はあったのですか?

全国のプレーパークを支援する活動の中心地になるのですが、最寄りが学芸大学駅と落ち着いた雰囲気などはステキなのですが、駅から15~20分くらい歩くので、地方から来るとなると交通の利便性があまり良いとはいえません。私たちの活動は現在事業拡大していて人も増えているので、支店というかサテライトオフィス的な役割でお借りしています。

―レンタルオフィスにしようと思ったのはなぜですか?

普通の賃貸オフィスも見に行きましたが、インターネットやら机やら椅子やらいろいろ整備する時間がかかる。でも整備する時間がないので、全部込み込みで揃うのは素晴らしい!と思いました。急な対応ができるというのがありがたかったですね。

―即決でしたか?

即決でしたね!他も見に行ったけど、ここを見学したときはもうここにしようって。

―他のレンタルオフィスも見られたんですか?

見に行く時間がなくて、でもまぁここでいいねって(笑)あと、会議室があるって意外とないんじゃないですか?これもポイントでしたが、何より個人的には駅から近いのが1番です。

―自宅にしてもやっぱり駅からの近さって何かと得ですよね。

ですね!と言いながら、僕はムーミンで話題の埼玉県飯能市に住んでいるので、毎日、都心への通勤は遠いですが…。

―そちらの方が自然豊かだからですか?

そうですね。子育てに最高な環境だなって。でも朝も早いし、帰りは遅いし、結局子どもどもに会えないなんてこともあります。

―この活動以外にも別のお仕事があるんですもんね。

そう。実は今日もこのあと予定がいっぱい入っています。移動も多いですし、固定の場所で働く仕事じゃないから駅から近いのがいいですね。ほかの利用者さんも、特に営業の方はそういう方が多いんじゃないでしょうか。

 

人づくり、環境づくり、理解者づくり

―「日本冒険遊び場づくり協会」ではどのような活動をされているのか教えて下さい。

我々は「遊びあふれるまちへ!」というミッションを掲げて、冒険遊び場(プレーパーク)づくりを広め、支援する活動をしています。もともとはデンマークで発祥した取り組みで、日本では世田谷区の羽根木公園内にあるのが日本初の常設のプレーパークです。普通の公園とプレーパークとの違いは、プレーパークにはプレーリーダーが必ずいることです。子どもたちに「自由に遊んでいいよ」と言っても、実際には慣れていないと何をして遊べばいいのか分からない子もいたり、わざわざ「これ遊んでいいですか?」って許可を取りに来る子もいたりする。でも、遊びとは本来、子どもが自発的にやるものであって、大人が決めるものではないですよね。その子どもの自発性を引き出してあげるというか。「こうやりたいなら、こうやってみようか!」と子どもの遊びを支えることが主な役割です。加えて子どもたちの冒険心を最大限に発揮できるよう、安全面の管理チェックを行ってあらかじめ想定される危険を取り除き、やりたいことを実現できる環境をつくったりするのがプレーリーダーの役割です。

―私も子どもをつれて「しながわこども冒険広場」に行きましたが、みなさん開始前に掃除されていましたね。

例えば、ガラスの破片が落ちていたら危ないのでそれはもちろん取り除きますが、
でも危ないからと言って、全部が全部取り上げるんじゃなくて、きちんとした管理の元でのこぎりやとトンカチを触らせる。プレーパークだと2歳児くらいからトンカチ持ってますよ(笑)

―私なら、すかさず危ないからやめなさいって言います!

そうなんですよね。「危ないからやめなさい」と言うのを、ちょっと待って見守ってもらって子どもに冒険させる。そういう環境づくりをやっています。あとは理解者づくりですね。行政、地域の住民が手を携えないと出来ない活動なんです。プレーパークの近隣に住居がありますよね。今日では子どもの声が騒音として問題になってしまう時代です。私たちは地域の方々の理解を得ながら一緒に作っていく。そしてそれを行政がバックアップする。そういうパートナーシップを通して活動を推進しています。

 

―公園内の掲示板にプレーリーダーの募集のチラシが貼ってありましたが、募集するとけっこう集まるものですか?

プレーリーダーの担い手不足は今の課題ですね。

―知らない方もまだまだ多いのでは?

そうなんですよね。あと今の子育て世代なんかそうですが、今の大学生たちをみると、自分の子ども時代に「外でおもいっきり遊ぶ」ということをしていない世代になってきているんですね。私は普段、この活動とは別に大学でボランティアやNPOのことを学生たちに伝えていますが、学生たちと話していても、木登りや虫の追いかけっこもしたことがないという子が多い。それで、プレーリーダーを志したところで、まず自分がどう遊べばいいのか分からない人もいるんですよね。研修で最初の1か月、思い切り子どもと遊んで、まずは本気で遊び込むことを覚えるところから始める研修プログラムがあるくらいです。それが今の現実ですね。だからこそ、今頑張らないと、この先、公園はピコピコと携帯型の電子ゲームをする場所になってしまうと思います。

―大学生も参加させることはあるのですか?

ありますよ。でもね、白い服で来る学生いるんですよ(笑)。厳しく「覚悟してきたのだな」と指導し(笑)、最後は泥だらけになって帰りますよ。この前、ちょっと申し訳なかったのが、スーツで行政の方が視察に来られたのに、子どもが泥だらけの手でドーンって触ってましたね(笑)。

―子どもらしいエピソードですね!「しながわこども冒険ひろば」も思いっきり泥んこ遊びができて、私の子どもも楽しそうに遊んでいました。なかなかあんな風に遊べる場所は見かけないですね。

そういう場所をもっとつくらなくちゃと思っています。現在、運営団体が400、遊び場の数はで言うと500カ所程あるのですが、全国市町村数が1700ほどあることを考えると、まだこれからの地域もあります。都内には100か所ほどありますが、「遊びあふれるまちへ!」をさらに目指していきたいと考えています。

―世田谷「のざわテットーひろば」の話が初めに出て、土地を所有されている方からプレーパークをつくりたいという相談があったということでしたが、そういうケースが多いのでしょうか?

都心はほとんど都市公園の一角を利用しているケースが多いです。そういった意味では「のざわ」の例はまれともいえます。一方、地方に目を向けると、土地や山を持っている地主さんからこういう風にしたいという話をいただくことがあります。あと、ここ最近ですごいなと思うのが、活動を続けていると、遊び場で育った子どもたちが大きくなって子育て世代になり、「自分たちが遊んでいたような遊び場って近くにないよね。つくりたいよね!」って、遊び場づくりの輪を広げています。これが市民活動の面白さかもしれません。

 

「遊び」の持つ力は子どもだけでなく大人も笑顔に

―久米さんが参加するようになった経緯は?

僕は子どもへの虐待防止という活動の中で、プレーパークの取り組みに関わるようになりました。プレーパークには実は虐待を未然に防ぐ役割があります。母親も父親も人間ですからたまにはイライラするときありますよね。そんな時にプレーパークに来てもらえれば、ママ・パパ同士で会話も出来るし、運営者が母親・父親経験者だったりすると、悩みを聞いてもらったり、子育ての知恵を教えてもらえたりもする。僕も自分の子どもが生まれる前に先輩ママたちに子どもの抱っこの仕方を教えてもらいました。貴重でありがたい体験でしたね。もうすこし虐待防止の視点で話をすると、プレーリーダーが常にいるので、子どもをきつく叩いたり叱っている親がいると「なにかあったのかな?」と早期発見の効果もあります。これは監視ではなく、見守りの一環だから気が付くことです。プレーパークは、小学校、児童相談所、子育て支援センターといった関係機関ともつながっているので、すぐに連携体制がつくれるし、ハブになれるんですね。

―子どもだけではなく、さらには親も見ているということですね。東日本大震災の時には、気仙沼にもプレーパークをつくられたと読みましたが、心のケアというのも大事な役割?

そうです。親も被災して大変な中、正直子どもの面倒を見ている余裕をなくすこともあります。プレーパークで遊ばせている間は、親も解放されて片づけとかが出来るようになります。実は震災後にはみえないところで虐待が発生するリスクが高まっているといわれています。

―親も尋常じゃないストレスでしょうからね。

それはそうです。もちろん子どももね。体育館でプライバシーがない避難に始まり、仮設住宅はプレハブだし、壁が薄く音が筒抜けで声も出せない。子どもは声を出したり、体を動かしたり遊ぶことでストレスを発散するんです。それができる場所が必要なんですよね。

子どもたちの中では、東日本大震災被災直後に津波ごっこや泥水でつくったものを流すという遊びが流行ったそうですが、子どもは遊びを通して、受け入れがたい衝撃を自分で消化して、少しずつ、理解していく。そういう意味でも遊びというのは効果があります。そこから自分で自分の心を修復していくそういう力を、子どもは大人が思っている以上に持っているんです。ぜひYouTubeで「気仙沼 あそびーば」という動画を見てみて下さい。(https://www.youtube.com/watch?v=Bn3TTYtb6TA

 

―涙が出てきますね。みんな笑顔になっていいですね。

昨年は、西日本豪雨の被害に遭った愛媛県宇和島市吉田町というところにプレーパークをつくりました。人口1万人くらいののどかな町ですが高齢化率は35%を超えています。子どもたちが本当に遊びに来てくれるか不安でしたが、150人近くの人が来てくれました。吉田町内の公園を見に行きましたががれき置き場で閉鎖になってしまっていて、遊ぶ場所がなかったんです。こういった場面に遭遇すると、我々の活動はこれからもっともっと求められていくんだろうなと思っています。その全国を支援する本部を今、このオフィスに置いていますよ。

―全国を移動されてお忙しそうですね!

皆さんに活動を知ってもらうための講演や啓発活動などもありますから、勤めている大学で学生たちに「一体いつ東京にいるんですか」って言われています(笑)。

―情報発信にも力を入れられているのですね。そういえば、ホームページも見やすくとても整えられているなと思いました。

ここ数年、気合入れてやっています。メンテナンスや更新は全部自分たちで。だいたい僕の深夜の仕事…。一体、何屋さんなんだろう(笑)

―そんな忙しい中での一番の喜びって何ですか?

やっぱり子どもの笑顔かな。楽しそうに遊んで、笑顔でバイバイって帰ってくれる時。あとは、疲れて寝ちゃっているのを見ると癒されますね。そこまで思いっきり遊んでくれたなんて、これ以上幸せなことないですよ。子どもだけじゃなく、親御さんも笑顔になって帰ってくれるしね。結果的に子どもの遊び場で、大人も地域住民も幸せになるし、遊びってものすごく力を持っているなと思います。現場にいても、支援していても思います。

 ―今後はどのような活動を展開されていきたいですか?

全国にもっと「遊びあふれるまちへ!」ですね。遊び場を作ることが活動内容ではあるのですが、それがゴールではなく遊び場作りを通して、地域全体、社会全体を巻き込んで遊びあふれる町にしていきたいです。まち中・社会全体をプレーパークのように出来たらいいなって。遊び心をみんなに持ってもらえるような。

 

―みなさん、同じビジョンを持って活動されている?

それぞれがそれぞれの地域を「遊びあふれるまちへ!」目指していると思います。私たちはそれらの小さな活動を大切に、全国に広めたい。私は、その思いをこの合言葉に含めて皆さんにお伝えしています。

 

―当社が新しい拠点を作るときに屋内のプレーパークとか一緒に出来たら楽しそうですね!

ぜひぜひ。ほかの会員さんとも新しい取り組みが生まれるとまた嬉しいですね。